こぐま50歳になるまでの笑いあり涙ありの物語

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こぐまとマンチカン茶豆

はじめまして、ごくまです。

50歳、バツイチ子持ち、埼玉県の中小企業の工場で現在は働いています。

趣味は海外旅行。

特に韓国とハワイが大好きです。

50歳になってみて思うのは

とにかく『「あっ」という間だったな』と。

と、同時に『残りの人生はあとどのくらいあるのだろう?』

死というものが現実味を帯びてきたんです。

残りの人生は何がしたい?

何をしよう?と日々真剣に考えてます。

ではまず簡単に、今現在までの楽しみを挙げると・・・

 

  • マイル旅19回(家族も一緒に海外17回、国内2回)
  • 渡韓歴90回以上
  • ハワイに16回
  • 韓国、ハワイ以外に6か国
  • ハワイに2か所のタイムシェア保有
  • 2010年にド田舎に新築一戸建てをバツイチながら購入
  • 2019年、49歳で初めてのブログにチャレンジ開始
  • 更にマイルを貯めるために2020年から「ポイ活」を開始
  • 2020年1月、ネットビジネスなる言葉を知る
  • 2020年2月、今後の人生の不安から抜け出すためネットビジネスの勉強を決意
  • 2020年5月、師匠になっていただきたい女性に出会い、
    本格的にネットビジネスを始める

とこんな感じ。

 

今までのマイル旅行の一部も紹介します。

マイルを貯めて航空券が無料になった分で、食事を豪華に食べることが出来ます。

ソウルの肉典食堂は、サムギョプサルやモクサルが激うまのお店!

分厚いのに柔らかくて、豚肉の臭さはなくて、マジに美味しくて大好きなお店。

ソウルでサムギョプサルを食べるなら、絶対におすすめです。

 

肉典食堂 本店 モクサル

韓国では、アワビビビンバもおすすめ。

日本より安くアワビが堪能できます。

韓国のアワビは柔らかくて、コレも本当に美味い!

今思い出すだけで、すぐにでも食べに行きたい!

 

GEBANG SIKDANのアワビビビンバ

アワビビビンバには石焼ビビンバもあります。

韓国のソールフードのビビンバが、

最近はオシャレに気軽に食べられるお店がたくさん出来ています。

 

色鮮やかなアワビビビンバは見て楽しめ、味も最高に美味しい

ハワイにもマイルを貯めて、

お得に行けちゃいます。

写真は、オアフ島のコオリナ地区にあるマリオットのタイムシェア。

ワイキキとは違い、静かなプライベートビーチで本当にくつろげる場所なんです。

日常を忘れてリフレッシュするにはもってこいの場所で、おすすめです。

 

こぐまの50年、生きてきた中での信念

最近は本業だけで働ているけど、

32歳~47歳まではWワーク、ときにはトリプルワークまでしていました。

バツイチ子持ちで、養育費ももらえず不安すぎて、

ひたすら働いてきたんです。

離婚した当時は毎日が不安で押し潰されそうで、

離婚したことを後悔して泣いてばかりいたな・・・。

でも子供のために泣いてばかりはいられない。

何とか気持ちを奮い立たせて、

死ぬ時に後悔したくない、

離婚したから出来る何かをしよう!と決めて、

いかに人生を楽しむか?を考える努力をした。

離婚してからずっとこの考えで

行動することで不安を吹き飛ばしながら生きてきました。

そして最初に

「JALのマイルを貯めて、年に1回は家族旅行に行く!」と心に決めて陸マイラーを開始。

陸マイラーになって17年ほど経つけど、

最近は多い時は年に数回は、韓国へマイル旅で行っています。

次に「子供に残せるものがあればいいな」と考え自分の家をいつかは持つと決めた。

この目標も小さな家だけど、40歳の時に実現しました。

こんな感じで生きてきたから、

周りの人からは「頑張り屋」とか「行動力がすごいね」、

「資格も持っていて、何でも出来て羨ましい」とか、

「旅行いっぱい行けてお金あるんだね」とか言われるけど、それは違う!!!

実際の私は、

 

こんな感じ。

子供を育てるために仕方なく、いっぱい働いただけ。

給料をUPさせるために、やっとこ資格を取得しただけ。

旅行に行きたいからマイルを貯めてきただけで、

お金があるわけではない。

そうするしかなかったから、無理やり行動してきただけ。

みんなが誤解するたびに「そうじゃない・・・」て言うけど

信じてもらえない。

本当はかなり精神的に弱く、不安で眠れないこともしばしば。

自分の意見も言えなくて、

人に合わせてしまうからストレスたまる。

実際はそんな性格だから、

会社での人付き合いがうまく出来なくて、

本気で会社を辞めたいと考えるようになった。

定年まで10年~15年。

人生の残りの時間を会社に縛られて、

人に気をつかいながら生きていきたくないな・・・。

でも50歳での転職はかなり厳しいことが予想される。

だったら、好きな韓国の情報をブログを作って収益化に挑戦しようと

ブログを開始。

ブログについて調べまくっていたら、ネットビジネスというものがあるのを知る。

50年間、行動し続けて来たことで、

行動しつづける事の大切さだけは身に染みて知っているから、

とにかくブログからのネットビジネスにチャレンジしようと決めた。

そして現在、『師匠になって欲しい!』と

本気で思える女性に出会い、

本格的にネットビジネスの勉強を開始!

ネットビジネスで収益を上げて、

会社を辞めて自由な時間を手に入れ、

貯めたマイルでお得に、

好きな時に好きな旅行へ行く

死ぬときに絶対に後悔したくない!!
実現するまで50歳からでも出来るチャレンジを発信していきます。

さらにブログを読んでいただく上で、

私の過去を共有していただくと

ブログの内容や目指したい今後の人生への考えや、

目指したい事が理解しやすくなると思いますので、

最後までお付き合いしていただければ幸いです。

こぐまの幼少時代~お母さん置いていかないで!~

生まれも育ちも埼玉県。

父と母は16歳の年の差夫婦。
3人姉弟の長女として生まれました。

父は子供の時に戦争を経験していて、母は戦後の生まれ。
全く価値観が違い、いつも夫婦喧嘩が絶えなかった。

口で叶わない父は、いつも母に暴力を振るい
いつも泣きながら実家に帰ってしまう母。

父は子供を渡さなければ戻ってくるだろうと、
絶対に母と一緒には行かせてくれなかった。

お母さんに会いたい一心で、6歳の時に弟の手を引いて半日以上歩き
母に会いに行ったこともあった。
すぐに父に連れ戻された。
泣きわめく子供を見て、諦めて帰ってくる母。

そんな事が何度も何度も繰り返されて、
私はすっかり大人の顔色をみる子供になった。

母親に置いて行かれる寂しさと、
もう会えないんじゃないか?という恐怖心が
子供のころにしっかりと心に刻まれてしまった。

だから50年経った今も人の顔色を見てしまうし、
病的に寂しがり屋だし、
人との別れに対してパニック的に恐怖を感じるという
物凄く面倒くさい性格がこの幼少期で出来上がった。

こぐまの学生時代~お金がないと惨めだ~

小学校~中学校は地元の学校へ。

小学校に入学してからも、
人の顔色を見てしまうし、
嫌われないか?を心配し過ぎて、
自分からは話かけられなくて、友達もなかなか出来なかった。

やっと出来た友達にもイジメられるようになって、
いつしか教室では1人で過ごすようになっていた。

勉強も嫌いだった。
幸か不幸か、
両親はお寿司屋の商売の忙しさと
相変わらずの夫婦喧嘩で
私の事はほったらかし状態。

厳しく勉強を強いられることはなかった。
絵を描くのが大好きで、
毎日絵を描いて自分の世界に入っていた子供時代。
自分の世界に入っていたことで、
確実に妄想癖がついた(笑)

ま、そんなんだから成績は本当に悪かった。

中学校では必ず部活動に入るという決まりがあって、
ソフトボール部に入った。

足は速くて運動神経もまずまずだったから、
レギュラーにも選ばれて嬉しかった!
少しづつ自分に自信がついたのはソフトボール部のおかげだな。

高校生になった頃から、父親の性格がどんどん悪くなっていった。
母に対して暴力を振るう以外に、
段々と仕事もしなくなっていった。

母が1人で寿司屋を続けていたけど、収入が激減していて
とてもお小遣いが欲しいとは言えず、
学校をサボっては、工場などでバイトをするようになった。

おこずかいがない=友達と遊びには行けない。
お金がないのは、こんなにも惨めなんだと痛感した学生時代。

この頃に、働く大切さとお金の大切さを実感した。
お金がないから出ていくことも出来ない母。

辛くても働き続ける母親の姿を見てきたことで、
仕事をする姿勢を学んだ気がする。

 

こぐまの若い頃~人生って楽しい~

私は、高校を卒業してすぐに地元の工場で働き始めた。

父親が仕事を放棄したため、
進学という選択肢は全くなかった。
すぐにでも生活費が欲しかった。

生活費以外にも遊ぶお金も欲しかったから、
朝は新聞配達、昼間は工場、夜は別の工場と
とにかく10代後半から、働きまくった。

母の働く姿を見てきたから、
働き続けることへの抵抗は全く感じなかったな。

そして、こぐまが19歳の時に大きな変化があった。

母親が完璧に家を出たのだ。
子供が大きくなった事で、
父親と別れる決心が出来たのだ。

この時は本当に嬉しかったなぁ~!
普通は両親の離婚って嫌なのかもしれないけど・・・。
ずっと1人では子供が育てられないと我慢し続けてきた母が、
もう我慢しなくていいんだ!殴られないで済むんだと思うと嬉しかった。

そして20歳の時に、工場を辞めて東京にアルバイトに行くことにした。
田舎に住んでいると、誰でも1度は憧れるであろう東京での仕事。

とある都内屈指の高級ホテルの従業員としてアルバイトで働いた。

相変わらずのトリプルワークだったけど、
この時はバイト仲間にも恵まれて、
初めての飲み会やスキー旅行、海外旅行もこの頃に経験した。

20歳の前半は、
仕事も一生懸命!
遊びも一生懸命!
貯金も一生懸命!
恋愛も一生懸命!
とにかく何もかもが楽しかった。

そしてバイト先で出会った2歳年上の人と、
5年の交際を得て25歳で結婚。

人生って楽しいんだ!と思えた瞬間。
これからは幸せになるんだ!って信じていたのに・・・。

こぐまの結婚生活~こんなはずじゃなかったのに~

25歳で結婚をした。

旦那さんは実家のある新潟で、
両親との同居を勝手に決めていた。

東京で知り合い、東京で生活するものだ!
と信じていた私には『騙された』感しかなかった。

結婚には超妄想というか夢をみていた。
子供の頃から絵を描いては妄想!を繰り返していたから、
コテコテの超ラブリ~な結婚生活を妄想して夢見てた。

でも妄想が大きかった分、
現実とのギャップにどんどん気持ちがズレていった。

2人の子供にも恵まれたけど、
旦那さんは常にお義母さんを頼り、
私には暴力を振るうようになった。

「自分の母親のように、我慢をする人生は嫌だ!」
離婚を決意して、埼玉県に子供と3人で戻った。

今となれば、自分も悪いところがあったな、とわかるけど
この頃は、我慢したくない気持ちだけで離婚してしまった。

こぐまの離婚後~離婚したからこそ出来ることを探して~

30歳で離婚。
2人の子供を育てるシングルマザーになった。

離婚した時には、
子供たちを父親のいない子供にしてしまったと
深く後悔もして泣いて過ごした日々もあった。

別れた両親には頼れず、
「1人で子供を育てられるか?」
不安で眠れない夜が続いた。

でも泣いても不安でも時間はどんどん過ぎていく。
このまま時間を無駄にしても仕方ない。

『死ぬときに後悔して死にたくない!』
『離婚したからこそ出来ることをやろう!』
子供にも『母子家庭だから諦めて』とは言いたくなかった。

心に決めた。

とにかく若い時以上に寝る間も惜しんで働いた。
早朝は食品会社の調理、
昼間は工場でパート、
夜はコンビニでアルバイト、
土日の昼間はガソリンスタンドとすごい働いた。

そしてこの頃から旅行に行くために、
JALカードでマイルを貯めることを覚えた。

日々の公共料金、食費などクレジットカードで支払えるものは
全てクレジットカードで支払いをしてマイルを貯めてきた。

子供たちが小学校の高学年になってくる頃には、
マイルで沖縄旅行が出来るほどになった。

子供が高校生の時は、
家族でハワイにも行った。

小さな頃に旅行に連れていけた事は、
子供に色々な体験をさせられて良かったと思う。
家族との楽しい共有する時間として旅行は最高だ!

仕事では資格手当ほしさに、
3年かかって
国家資格(危険物乙4種・機械検査技能士2級)を取得した。
資格を取得したことで、
正社員にもなれて給料も安定してきた。

アルバイトの方のコンビニも責任者に選ばれて、時給も上がった。

おかげで子供が「ニュージーランドにホームステイに行きたい」と
言い出した時も子供の願いを叶えることができた。

そして40歳になった時には念願のマイホームを、
バツイチながら購入することが出来た。

ずっと小さなボロアパートだったから、
マイホームは私も子供も本当の居場所が出来たようで、
とにかく嬉しかった。

働きづめのこの頃の楽しみは、隙間時間でみる韓流ドラマ。

子供のころからの妄想好きもあって、
韓流ドラマの主人公気分を楽しんでいた。

そしてだんだんと韓国に行きたくなり、
どんどんとハマっていった。

自分なりに子供たちとの生活を楽しんでいた私だったが、
精神面では相変わらず弱いことが多かった。

仕事を頑張れば頑張るほど、
周りの人たちから、嫌味を言われるようになった。
時には、無視をされ仕事も与えてもらえない日があった。

子供の時からのトラウマが蘇り、
人の顔色を伺い、
自分の意見も言えず、
ひたすらまわりの人に合わせるような毎日。

「このまま残りの人生の時間を会社で無駄にしたくない」

会社の奴隷のような気にさえなり、
毎日、毎日、会社を辞めたいと思うようになった。

そんな私のストレス解消が旅行だ。

成人した子供たちは理解をしてくれ、
今では、1人旅で韓国へ行く。

人に気をつかわないで済む1人旅がとにかく大好きだ。

韓国に行くためにスマホで色々調べるうちに
自分でもブログで韓国旅行を紹介したくなった。

しかも、ブログに広告貼り付ければ
お金も稼げるらしい!
こんなおいしい話しがあるんか!

これでもう汗水たらして体を酷使して
働かずに済むじゃん!!
会社を辞められる!
会社の奴隷から解放される!

とブログを作ろうと決めた。

 

こぐまの50歳からの挑戦~ネットビジネスの勉強を開始~

2019年、初めて作ったブログで韓国旅行を紹介。

ネガティブ思考が全開で、

パソコン苦手で出来るかな?
私にブログなんて出来るかな?
頭悪いのに文章書けるかな?
ブログ読んで、誰かに文句言われたらどうしよう?

ま~とにかく
やりもしないうちから悪いことばかり考えて、
なかなか行動に移せない日々が続いた。

やっとブログを作った時には、
作りたいと思ってから3年がたっていた。

2020年になり、ブログのアクセスは伸びないまま。
ということはお金も稼げてない・・・。

今後も身体を酷使して働きたくない

「何がいけないんだ?」ネットで色々調べまくる。

するとSNSでは「ネットビジネス」やら「仕組み」なる文字が!

調べれば調べるほど、
ネットビジネスへの可能性は凄い!って思える。
やってみたい!!

でも、またここでネガティブ思考が・・・。

私に出来るかな?
出来なかったらどうしよう?

でもまてよ・・・。

やらなかったら、
ずっと会社で働いて、
好きな時にも旅行に行けないぞ。

50歳だし、
残りの時間を無駄にしたくないし、
悩んでいる時間も勿体ないし、
誰に迷惑かけるわけでもないし、やってみよう!!

それからは自分の理想とする人を探すべく、
色々な人のメルマガを読みました。

そして最近やっと、
「この人にネットビジネスを教えてもらいたい!」と思える女性に出会えました。

そしてここからが50歳からでも出来るチャレンジ!!

ネットビジネスで収益を上げて、
会社を辞めて自由な時間を手に入れ、
貯めたマイルでお得に、
好きな時に好きな旅行へ行く

 

最後にあらためて、ブログのコンセプトは

50年、生きてきて
行動して来たことで何とかなってきました。

残りの人生の時間がどれくらいあるか?は
わからないけれど、
定年までの10年~15年の時間を会社に縛られるって
すご~くすご~く時間が勿体ないと思いませんか?

死ぬときに絶対に後悔したくないを胸に、

実現するまで50歳からでも出来るチャレンジを発信していきます。

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